東京通信

ファッション、カルチャー

ファッションにバックボーンがあると色々捗る

ファッション誌を読むと、デザイナーとかスタイリストのファッション遍歴がよく載っている。中学の時に友達の兄貴とスケボーを教えてもらってそこからファッションに興味を持ったとか、先輩がバンドやっててライブハウスに連れてってもらって、、とかとかそんなバックボーンが僕にはない。超田舎だったし、中学入学したのが2001年だから90年代っぽいカルチャーも成熟していたのかなあと今になっては思う。

救いだったのは高校が私服だったこと。制服がないというのはものすごく嫌だったけどそれ以外地元に公立の進学校はなかったので仕方なく入学した。そこで洋服に対する熱が抑えきれなくなった。最初は馬鹿にされないためにカッコいい服を着ようとしていたんだけど、生まれながらの凝り性な性格がそれに輪をかけた。当時は最寄り駅まで片道13キロくらいの距離をチャリで通学していてよくコンビニで立ち読みして休憩していた。スケベな週刊誌もよく立ち読みしてたけど、なんといっても一番読んでいたのがファッション誌だ。当時は裏原系と古着が大ブームで今はなきGETONやBOONとかストリートジャックとかをアホみたいに読み漁った。高校に行けばステューシーのTシャツに古着のリーバイス501を着た先輩が沢山いて、そういう環境で思春期を過ごすことができたのは自分にとってのバックボーンというか育ったカルチャーと呼べるのかもしれない。自分にとってのファッション黎明期に洋服の基礎の基礎といえるような古着カルチャーに出会えたのは本当に幸せなことだったと思う。501のブルージーンズにアディダスの古着ジャージを着ている人は今ほとんどいないし、リーバイスの古着Gジャンの下にミッキーのスウェット、迷彩のミリタリーパンツみたいな当時ベタだったファッションも今はない。でもそれが良かった。思い出補正も確かにあるけど。あの当時のちょっと粗めのシルエットとか今と比べてシュッとしていない感じとか。今は良くも悪くもシュッとしすぎているとたまに思う。でも一昔前から考えたら絶対流行らないと思っていたニューバランスのスニーカーが突然流行りだしたり、流行っていつどうなるかわからないからまた昔の粗い感じに戻るかもしれない。まあそれが面白いんだけどね。

僕は2005年くらいからチョキチョキのおしゃれキングに夢中になって基礎にテクニック的な要素が補完された。奈良・馬場というワードがずらり並んだモバオクにも夢中になった。このあたりの第二次ファッション成長期についてはまた改めて書きたいと思う。

とにもかくにも、ファッションとは程遠い会社員に成り果てた今でも洋服に情熱を絶やさずにいられるのは洋服の基礎を黎明期に定着できたからだと思う。いきなり大学に出て、とりあえずビームスという服屋で高いやつ買えばいいのか?って買い物していたら単なる衣食住の衣でしかなかった。もう完全に洋服は自分にとって趣味と化している。

まあ、残念ながらモテに結びついた経験は全くないし今後もずっとないだろうけど。。

 

 

 

 

市場から直接評価される環境じゃなきゃ成長とかあんまり意味ないと思ってしまう

成長ってなんだよ議論はかなり煮詰まってきている感が個人的にはあるんだけど、最近思ったことを書き連ねてみようと思う。

タイトルにある通り、市場から評価される環境とはスポーツ選手とかフリーランスの人、経営者とかそういう人を取り巻いている環境のこと。今僕がいる環境は会社員として会社に雇用してもらっている。一応上場しているし、会社の業績は株式市場から評価を受けることになるんだけど、それは社長とか役員の立場であって普通の社員は上司から評価を受ける。サッカー選手がゴールを多く決めたりミュージシャンがヒットを出したり、そういったわかりやすい評価の基準というのが我々にはない。仕事ができるとかできないという要素ももちろん大きいんだけど、評価の客観性がいまいちパッとしないことが多い。人間が人間を評価するんだから評価の要素が有機的すぎる。ものすごい仕事ができる人でも上司と馬が合わなきゃ評価してもらえないことだってある。

だから、サッカー選手になってビッグクラブに移籍してワールドカップで優勝したいと夢を語るサッカー少年は沢山いるけど、絶対に出世して社長になる!と意気込んで入社する新入社員はあまり多くないだろう。というか馬鹿にされるはず。

それなのに成長しろ!とか、入社してから数年の努力の差で周りとどんどん差がつくからな!みたいなことを散々言われる。成長した先に一体何が待っているんだ?出世?理想の社会人像?自己実現?(ブルブル・・・)と思ったり思わなかったり。。

個人的には、やみくもに成長しろとか言われるなら出世するために色んな社内の人と飲みに行って人脈広めて来い!と言われた方がよっぽどスッキリする。(極論だけど)

市場から直接評価される環境なら成長するのはまあ必要不可欠かなと思う。陸上とか水泳の選手なんかはタイムだけが評価の基準であり、コンマ何秒の世界で“成長”を目指して努力している。逆にこれ以上“成長”するのは無理と判断したら引退するんじゃないかとも思う。(ベテランのスポーツ選手なんかは晩年に成績が下がっていくわけだけど、向上心がなくなったらもう続けていくのは相当困難だろう。)まあ食っていけるのに困らないくらい稼げれば十分と考える自営業者は世の中に多いかもしれないけれど、そんな甘い世界じゃないだろうし会社員より何倍も危機感は強いと思う。

ちょっと視点を変えてみる。待ってました!(?)大学生にとっての成長とは?

どの時代にも意識の高い系大学生は沢山いたんだろうけど、概して彼らは成長という言葉が大好きだ。一種の呪文なんじゃないかってくらいに。もう僕は大学を卒業してしまったんだけど、それについても最近考えてみた。

大学ってのはある意味特殊な環境だと思う。小中学校だったら足が速いとか高校なら偏差値が高いとかスポーツができるとか、大学にはヒエラルキーを決定づけるわかりやすい基準があまりない。同じ学内での成績のいい悪いはあまり関係なくなり、半強制的な部活動へのコミットもない。だからリア充自慢したり、意識高い団体を立ち上げたり、イベントを企画したりする人が現れる。(まあごく一部なんだけど。)これという評価(される)基準がなくなるわけだからあの手この手で皆がもがく。もがきながら「今年一年色んな人に出会えた!ホントに成長できた一年だった!」とSNSに投稿してしまう。 そしてコイツにとっての成長って何なんだよ!と思ってしまう。でも大学生にとっての市場って学問とかリア充とか部活・サークルとかバイトとか趣味とか、一応カテゴライズはできる。だから学問市場に身を置いて努力をしている大学生だったら研究が進歩すれば成長と言えるし、非リア充からリア充に転身できたならそれは大きな成長である。

要するに、会社員も大学生も今置かれている市場(環境)をしっかり見極めるべきだということ。成長という言葉は場合分けして使うべきだ。成長を安売りしていたら本当の意味での“成長”なんてできないと思う。

 

まあかく言う自分も就活のエントリーシートに、「御社で成長していきたいと考えています」ってテンプレのごとく使ってたけど・・・笑

 

君を成長させる言葉

君を成長させる言葉

 

 

 

成長痛 (恋するカラダBoys)

成長痛 (恋するカラダBoys)

 

 

洋服のルーツに想いを馳せるとワクワクする件

現代人は洋服を毎日着ている。でも日本における洋服の文化は明治以降のことで、実質洋服のおしゃれなんて戦後復興期以降だろう。

 

僕は服飾の専門学校とか大学を出たわけじゃないし、服飾の歴史を深く勉強したわけじゃない。だから偉そうなことは言えないんだけど、洋服って和服に対応した言葉だって漢字見りゃわかるし、西洋のヨーロッパとかアメリカとかの文化である。

で、今定番となっている洋服のルーツを考えると結構興味深い。

 

例えば、ジーンズはリーバイスの創業者であるリーバイストラウス氏がカリフォルニアの金鉱で働く人々の丈夫なパンツが必要だという声を聞いて、ジーンズの原型となるワークパンツを作って労働者に支持されて人気となり今に至る。(なんかこのジーンズ誕生秘話って大学受験の英文によくあった気がする。)ちょっと意外なのはリーバイストラウス自身はドイツ系移民でドイツ生まれだってこと。

 

原宿から渋谷方面に明治通りを歩いていくとMARVIN'Sっていう古着屋があるんだけど、そこがまあヴィンテージ古着の文化を作った伝説的なお店で、行ってみると圧倒される

古着 原宿 ヴィンテージ MARVIN'S(マービンズ) デニム(ジーンズ)VINTAGE ビンテージ ジーパン リーバイス Lee チャンピオン 軍もの HAWAIIAN A-2

 

そこのオーナーの半沢さんって人がリーバイス501“ビッグE”という単語を作ったらしい。ジーンズのディスプレイには高くて400万とか100万超えの逸品がずらり並んでいる。置いてるのはアメリカ製の洋服なのにアメリカからヴィンテージのバイヤーが買い付けにくるんだからなんか面白い。(なんかの雑誌でアメリカ人の有名なヴィンテージ古着コレクターが、ヴィンテージ古着はアメリカ国内だとコレクターが手放さなかったり市場への流通も少なくなっているから日本の高円寺とか原宿渋谷に来た方がアメリカより手に入りやすいって言ってた)

 

コートなんてのはミリタリーが大体ルーツだったりする。Pコートもダッフルコートもトレンチコートも全部イギリス海軍がルーツ。洋服好きなら一度はハマる(?)であろうカモ(迷彩)柄なんて軍隊丸出しだしね。まあ要は戦争反対とかそういうの関係なしにミリタリーの洋服は世界中に広がっているわけだ。

ジーンズにしてもミリタリーにしてもここまで広まったのは機能性ありきだろう。ヨーロッパでの戦争なんか防寒という概念が相当重要だったことは容易に想像できる。空軍の場合なんか高度何千メートルを飛行機で飛ぶんだから相当寒いはずだ。他にも例えばスポーツウェア、アウトドアウェアは現代のファッションに欠かせないものだけどやっぱり機能性が優れている。

ここまで機能性の話ばっかりしてきたけど、更にすごいのはデザインがどれも美しいということだ。デザイナーズブランドは国内外に沢山あるけれど、結局は元ネタの洋服のデザインを現代風にアレンジしているだけで全く原型を留めていない服なんてほとんどない。例えばGジャンは何でこんな丈短いんだろう?と思ったことある人は多いだろう。リーバイスがGジャンの3rdモデルを発売してから全くと言っていいほどデザインが進化していないのだ。これってものすごく感慨深い。

洋服文化の初期段階で多くの洋服のデザインがほとんど完成系に近かったと言って差し支えないんじゃないかと個人的には思っている。(モードというジャンルはあるにせよ。)機能性とデザイン性の両方を兼ね備えた洋服だけが洋服界の自然淘汰から勝ち残ってこれたってことなんだろうか?うーん奥深い。。

ちなみに僕はヴィンテージコレクターではない。着てなんぼだと思っている。そうじゃなかったら機能性とか洋服の歴史をぶち壊すようなもんだ!とまでは思ってないけど・・笑

 

 

 

ミリタリーウェアの本

ミリタリーウェアの本

 

 

 

 

 

 

 

 

ノースフェイスのダウンジャケットを衝動買いした件

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NORTH FACE WIND STOPPER DOWN JACKET|TAKASHI KUMAGAI -BLOG-|honeyee.com Web Magazine

 

はっきり言って自分の趣味じゃない。

ノースフェイス欲は高2で絶頂を迎え、その後急降下。

アウトドア系についての興味もそれ以降パッとしない。

 

洋服好きならばおそらくマウンテンパーカーは避けては通れない道だろう。

(あくまで主観)

だから古着のエディバウワーとかウールリッチのマウンテンパーカーは持っている。

でもノースフェイスのダウンは技がないというか、着たらそれ以上でも以下でもない

ふり幅の狭さがネックでずっと敬遠していた。

むしろある種の逃げだとすら思っていた。

 

大好きなSupremeでは毎期ノースフェイスとのコラボがリリースされるのだが

全く興味がなかった。

 

そんな矢先に!である

 

熊谷隆志さんのブログを観たら

超カッコいいノースフェイスが載っているではありませんか!!!

これは熊谷隆志補正を抜きにしてもである。

 

この時点では、単にカッコいいと思っただけで絶対買おうとは思っていなかった。

 

そして今日、偶然にも現物を発見してしまい、案の定カッコ良すぎて衝動買い・・・

 

機能美とかよく聞くけど、ホントまさにこれは機能美の塊。

Tシャツだけ下に着ても暖かいし、恐ろしく軽い。。

ジッパーを全部閉めた時のシルエットがホント惚れ惚れしてしまう。

 

ただ、ノースフェイスを着てしまった時のそれ以上でも以下でもない感は

完全に克服したわけではないので今後の私にかかっている。

 

熊谷さん曰く、

とにかく今年のダウンジャケットの目標は、
アウトドアに着るのも、もちろんいいんですが、
タウンユースに着ること。
だからこれも、ボタンダウンシャツにネクタイ+ジーンズ、
革靴。な感じで。

 

何ともスタイリストらしい提案。

私、本当にミーハーなのでスタイリストに弱いです。

めちゃくちゃ寒い都市に旅行したいな。。笑

 

 

GREEN LIFE

GREEN LIFE

 

 

 

BRUTUS (ブルータス) 2013年 5/15号 [雑誌]

BRUTUS (ブルータス) 2013年 5/15号 [雑誌]

 

 

 

 

 

 

鈴木奈々が発する唯一無二の“どうでもいい”感

今年芸能界何あったかな~って思って

ここ数日年末の番組観てたら鈴木奈々がやっぱり出まくり。

 

彼女のどうでもいい感はさすがに異常だと思っていたので

ちょっと考察してみようと思う。

 

まず、彼氏ネタ

「工場の彼氏と婚約したんですよ~」と出る番組ほぼ全てで話題を提供する彼女。

 

芸能人というのは交際ネタを隠すからスクープとしての価値があるわけで、

鈴木奈々の場合、希少価値は皆無である。

 

はっきり言って、ひたすらウザいしどうでもいい。

 

さらにおバカキャラ

これに関しては、どこまで計算なのかはわからないが

今までのおバカキャラとはレベルが違うようだ。

彼氏の「齊藤」という漢字が書けず、とんでもない間違いをしているのを以前観た。

はっきり言って、怖かった。こんな間違い方する人がいるのかと

 

以上を踏まえて、なぜ鈴木奈々がテレビに出続けられているのか?

 

まず一つは、何だかんだ好感度が悪くないのだと思う。

 

テレビでものすごく前に出てくるけど、突き抜けたおバカ加減と前向きさがそのウザさを中和させているというか・・・

 

まあ要は、どうでもいいってことに尽きる。

観ててウザいけどとんでもなく前向きなおバカだし

いちいち感情移入して、コイツ何?本気でウザいんだけど

と思う人は稀だろう。

 

それに加えて、テレビで使う側としてもおバカキャラは常に需要があるし

共演者も鈴木奈々がいるから少しくらい失敗しても大丈夫という安心感を与えるし

いるだけで間接的に周りを持ち上げていることになる。

 

はっきり言って凄まじい才能だと思う。

時代にぴったりハマったといえばそれまでだが

視聴者に多少の不快感を与えつつ、何だかんだそこまで嫌いにはなれない存在。

 

やっぱり彼女は唯一無二である。

 

 

なんか結局サイゾーとやってることほぼ変わんないな。。笑

 

 

 

一所懸命

一所懸命

 

 

 

 

 

 

始動

Martin Yoheiです。こんにちは。

 

このたびブログを始めることにしました。

MartinはファッションブランドのMartinMargielaからとってます。

ベーシックな部分を大事にしながら常に攻め続ける姿勢、それでありながらアンチモードを貫くデザイン、ずっと私の憧れでありつづけています。

 

基本的に私の好きなこと、興味があることについて書いていきます。

ファッション、スポーツ全般(プロ野球、サッカー等)、芸能、お笑い、お酒、仕事、時事ネタ・・・

 

とりあえず色んなコンテンツを私なりの視点で攻めていければと思います。

これまで散々インプットばかりしてきて、そろそろ世の中にアウトプットしていけたら面白いだろうなあ・・・と思った次第です。

 

自分自身がメディアになって世間に情報を提供していけるのって本当にすごい時代だなって思います。

 

まあとりあえず能弁垂れるのはこの辺にして、ひたすら発信していきます。

ハイ